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「本音がわからない」不安に押しつぶされないで・・・

みなさん、こんにちは。MHSです。

今日は”ほんとうのことを話すのは難しい”って話。
みなさん、つらかったりむかっときてたり、動揺してたりするときにそれをとっさに隠すことってありませんか?
余裕の笑みを浮かべてみたり、早口でまくしたてたり、「全然大丈夫!」って言ってみたり・・・。
まわりもある程度大人になってくると、そんな態度の裏にある気持ちが透けて見えるようになって、だいぶ無理してるなあ・・・って気づくようになるんだけど、そうは見通せないときもある・・・
悪意の入った裏腹な態度やことばにたくさんさらされると、頭がぐちゃぐちゃになっちゃうんですよね。

「あなたの好きにしていいよ」→「好きにするならどうなっても知らないからね」
「大人なんだから自分で決めれば」→「責任は全部おまえにふりかかるんだから」
「なんとも思ってないよ」→「頭から離れないからどっか行って」
「避けてなんかないよ」→「そう思うんなら聞いてこないで」
「○○ならできるよ~」→「あなたに無理なんて言えない・・・」

なーんて意味かもしれない。もちろん本音であることもあるわけだけど。

裏の気持ちが透けているようで完全には見えないから、「本当は○○だと思ってるんでしょ」とも言えない。言ったとしても「はあ?そんなこと、一言も言ってないし」って返されたら余計傷つく。

相手の本音がわからないということが一番不安を掻き立てるし恐怖かもしれないですね。
だからできるだけ正直であるべきだし、相手にも求めたい。そうは思うの。
だけど、本音が言える人なんてそうそういない。みんなどこかで本音を隠して自分を守りながら、時にどこかで人を傷つけてる。
誰もが悪意の居場所がわからない不安に耐えて、考えないようにして自分を自分で奮い立たせて今日を生きているのかもしれません。

みなさんと同じ大学生のVaundyは、人の言葉の不確かさと自分の自信のなさを歌で表現することで逃しているようだなって「僕は今日も」を聞いて思います。
歌を歌ったり、文章を書いたり、絵を描いたり、スポーツしたり、そんな才能に恵まれている人は、このあいまいさへの恐怖を発散する術を持っている人たち。

でもそういう才能も没頭できる趣味も持っていなかったらいったいどうしたらいい?

語ること(否定しない安心な場所で)、はできるんじゃない?

僕は今日も / Vaundy : Lyrics Video - YouTube

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