人に愛されるほうを選ばない不思議
みなさん、こんにちは。MHSです。
この前の大雪は大変でしたね・・・。
私も家の前の坂を車が上れなくて3時間以上格闘しました。
こんなところで道を塞いでいては除雪車が通れなくなると必死で雪をかきました。
近所の方々が数名手伝ってくださって本当にありがたかった・・・
こういう非常事態に誰かが手を差し伸べてくれると人の温かさをひしひし感じるんですよね。
でもね、24時を回ろうという時間にコンビニ袋をぶら下げた20代の男性が三人。目を合わせないように立ち往生の車の横をすり抜けて行ったんです。
思わず”ひねくれ者め・・・”とつぶやいてしまいましたよ。
目を伏せているということは後ろめたい証拠。あったかい部屋の中に入ってもちくちくと胸が痛んだんじゃないでしょうか・・・。
「お手伝いしましょうか」の一言を口に出すのはなかなか難しいこと。
同じように「相談にのってほしい」や「少し休ませてほしい」という申し出も。
どうしてこれらの一言って気軽に言えないんでしょうね・・・。
不思議ですが感じている人、多い気がしています。
だから連絡なくひきこもったり、自分でひそかに思い悩んだりするほうを選ぶんじゃないでしょうか。
でもその結果、親に怒られたり、教員に指導を受けたりしていませんか?
素直にだれかとつながればいいのにどうして・・・?って大人は思うんです。
わたしが20代の時によく聴いていた曲をご紹介します。
イーグルスの曲のカバーですけどリンダの声は胸にささりますよ。
えらそうに書いている私も、みなさんと同じ頃はひねくれ者だったんです。
こっちを選べばすっきりするのに、なぜかつっぱってとんがって大人をあきれさせていたんです。
人にやさしくすることにも自分にやさしくすることにも不器用なんですよね。
Desperado 「日本語訳・英訳付き] リンダ・ロンシュタット